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Work 2022 / mixed media

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Title
Series "Cats, Bread and Roses"
(
mixed media)

This work was inspired by a speech of American woman suffragist Helen Todd (1870-1953), "Bread and Roses for All..." (1911).

It expresses the need not only for bread, which is the minimum standard of living but also for the health and happiness of all people."Bread" is a metaphor for a minimum standard of living and the "roses" for human dignity.

 

British filmmaker Ken Loach (1936-) made a film called "Bread and Roses" about the relationship between Latin American immigrants and workers in 2000. 

 

"Bread and Roses" are essential for human beings to survive in society.

However, naok fujimoto believes that we need not only “Bread and Roses" but also others with whom we can communicate reliably and safely with each other such as family, friends, third parties, and so on.

 

In this work, there is a cat wearing clothes like a human. This is a symbol of the "other" that "naok fujimoto" believes is as essential as "bread and Roses".The cat in this work is looking up at a single rose on the duckboard above the wallpaper. It even looks as if it is unreachable.This cat's pursuit of a rich life is sometimes a "high peak" situation. "naok fujimoto" say that for me like a flower on lofty heights

 

Even today, nearly 110 years after Helen Todd's speech, we may find ourselves in a situation where even a single rose is hard to come by.

 

Also, the "Rose" in this work is represented as cut flowers. Cut flowers do not have roots.

Unfortunately, however, in the lower strata produced in the social structure called capitalism created by modern society, flowers without roots are doomed to wither and die because they cannot absorb water.

 

These structures are particularly evident in the austerity policies that are being launched worldwide today. The austerity policies of many countries, which are based on simply being able to eat, seem at times to increase the number of food banks, but at the same time to lack any sense of culture or enrichment.

 

"naok fujimoto" believes that the "Roses" of dignity, which are depicted as the abundance of human beings, are not something that is temporarily given to someone else but rather needs to take root and grow within society. It is the same with communication with others.

 

In this series of works, "naok fujimoto" expresses this dilemma of social structure with Bread she eats every day.

タイトル

​シリーズ『猫とパンとばら』(mixed media :写真、パン)

本作品は、アメリカの女性参政権論者ヘレン・トッド(1870-1953)の演説(1911年)、 "Bread and Roses for All "(すべての人にパンと薔薇を...)から着想を得ています。人間が生きるためには最低限の食べ物であるパンだけではなく豊かさも必要だということをあらわしています。”パン"は最低限度の生活を、”薔薇"は人間の尊厳を暗喩します。

英国の映画監督ケン・ローチ(1936-)は2000年に映画『Bread and Roses 』で、ラテンアメリカの移民と労働者との関係を描いたという映画作品を制作しています。

人間が社会で生きていくためには”パンと薔薇”が不可欠です。ですが、本作の作者である naok fujimoto はその2つだけではなく、家族や友人、第三者といった互いが信頼し安心してコミュニケーションできる”他者”も必要だと考えています。

本作の中で、人間のように衣服をまとった1匹の猫が登場します。これは作者が”パンと薔薇”と同様に必要不可欠であると考える”他者”の象徴です。猫は壁紙の上の鴨居に咲く一輪の薔薇を見上げています。その姿はまるで対象物に手が届かずどこか少し寂しげに見えます。つまりそれは生活の豊さを追求することは時として『高嶺の花』である状況を意味しています。

ヘレン・トッドのスピーチから110年近くたった現代社会においてすら、もしかしたらその一輪の薔薇さえも手に入りにくい状況下に置かれることがあるのではないでしょうか。

本作品に登場する”薔薇”は切り花として表現されています。あたりまえですが、切り花には根がありません。

本来、私たちは人間の尊厳の象徴である薔薇を求め生きていく生き物です。ですが残念ながら、現代社会、すなわち資本主義下の社会では下層構造が生じ、そこでは根を持たない花は水を吸うことすらできず、やがて枯れてしまう運命にあります。

 

今日、世界的に始動される緊縮政策では特にそれらの構造が顕著になります。ただただ食べることができればよいという緊縮メインの各国の政策はフードバンクを増やす一方で、どこか文化や潤いというものが欠落されていくように時として思えます。

作者は、人間の豊さとして描かれる尊厳としての”薔薇”をはじめ、人との”つながり”は一時的に誰かに与えられるものではなく、本来、社会の中で根を張り成長していく必要があると考えています。

 

本シリーズでは、この社会構造のジレンマを作者が毎日食べるパン用いて表現しています。

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Work 2023 / Performance 

Title: ”Scenario Dialogue" Ser.4  - about  ”Waiting for GoTo”  -   8th. Jan. .2023
at  Art and Jazz BAR M'S / Tokyo 

show -20mins-
   

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▶︎Art Work ID:《シナリオ・ダイアローグ Ser.4》
『人生は自作自演=GOTO(ゴトー)を待ちながら編=』by naok fujimoto

▶︎Date:2023/1/8.(土) 20:00-20:20(20mins)
▶︎Place:Art x Jazz M's @国分寺


本作は、サミュエル・ベケット(1906-1989)の戯曲『ゴドーを待ちながら』(1952)を下敷に約20分のパフォーマンスです。
*
ご存知のとおり、本家ベケットの『ゴトーを待ちながら』は、『不条理演劇』としての立ち位置と西洋の白人男性主義的な時代性もあいまって、謎解き・読み解き・伏線回収のオンパレードな醍醐味もあってか、今もなお神秘的に受け継がれている作品です。
*
ですが、実際にベケットはそこまでの解釈や意図を埋め込んでいるのではなく、只ひたすらに、縦横無尽にその時々の言葉遊びに果敢にチャレンジしただけに過ぎないのでは?、といったのが今回の作品に込めた私の解釈です。
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作為的な意図しない発話こそが日常のリアルであり、また、そうした無邪気なピュアな言葉によるなんのオチもない普段の日常にこそ本来のリアリティが見出せるのではないでしょうか...
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“ゴドー”が”God(ゴッド)”の暗喩であるとか、そうなじゃいとか、そういう読み解きとは全く別の次元で、ベケットは自らの体から発されるアクシデンタルな発語自体を興じていたのではないでしょうか...もしかしたら、ベケット自体、そういう読み解きに奔走する演劇かぶれの聴衆にほくそ笑んでいたのかもしれません...
*
今回のパフォーマンスでは、男性優位な会社で営業職を務める(naok fujimoto)が扮するOLヤマシタの姿をとおして、理不尽な会社でのルールや、日々の生活における小さな不条理さの積み重ねのあれこれを描きます。

 

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This is a 20-minute performance based on the play "Waiting for Godot" (1952) by Samuel Beckett (1906-1989).

As you know, the original Beckett's "Waiting for Godot" is a work that is still mysteriously handed down today, perhaps due in part to its position as "absurdist theater" and its Western white masculinist zeitgeist, as well as the real joy of its parade of riddles, decipherings, and foreshadowing.

However, Beckett did not actually embed his interpretation and intention to that extent but simply challenged the word play of the time in any direction and at any time. This is my interpretation of this work.

I believe that artificial and unintentional speech is the reality of everyday life, and that the true reality can be found in the everyday life without any punchline by such innocent and pure words...

I think that Beckett was amused by the accidental utterances from his own body on a completely different level from the reading of "Godo" as a metaphor for God or not... Perhaps Beckett himself was gloating over the theater-goers who were busy deciphering the words...
*
In this performance, I will portray the unreasonable rules of the company and the accumulation of small absurdities in daily life through the character of Yamashita, an office worker in a male-dominated company, who works as a sales representative.

Work 2022 / Performance 

Title: ”Scenario Dialogue" Ser.3  - about MAMA at BAR  -   10th. Dec. .2022
at  Art and Jazz BAR M'S / Tokyo 

show -25mins-
Photo: Asao Sekine 
   

In this third installment of "Scenario Dialogue," "Life is a Performance by Myself = Bar Mama," I will present a performance art piece that pays homage to Fujiko Nakaya's work "Standing Eggs" and Ukichiro Nakaya's essay "Risshun no Tamago" by Fujiko Nakaya, whom I admire very much. 

I presented a performance artwork that paid homage to the work of Japanese Artist Fujiko Nakaya, whom I admire very much, and to Fujiko's father, Ukichirou Nakaya's essay "Egg of Risshun (First Day of Spring) ”.

This work is an improvisational performance piece using the technique of scenario dialogue, in which the viewer (audience) is invited to intervene.

Through the narrative approach of the main character, a woman played by an artist,"naok fujimoto", the work expresses the everyday life of the audience.

The work is created together with the audience on the day of the performance.

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タイトル

『シナリオダイアローグ』Ser.3 バーのママ編(パフォーマンスワーク:約15分)

本作品は、”演劇的な役割語(※)によるセリフまわしと対話の手法”(=『シナリオ・ダイアローグ』※)を用いながら、居あわせた鑑賞者(参加者)とともに双方向のコミュニケーションを創出するライブパフォーマンス作品です。

※『シナリオ・ダイアローグ』とは作者(naok fujimoto)の造語です。

本作は前作の『”シナリオ・ダイアローグ”第二弾《人生は自作自演=女優編=》』同様に、鑑賞者(観客)を介入させながら挑む対話劇(シナリオ・ダイアローグ)の手法をとる即興パフォーマンス作品です。前回同様に、女性が語るナラティブアプローチを通して以下のような物語を想定しています。ですが、実際の中身はその日の観客次第!となる作品です。

 

今回の”シナリオ・ダイアローグ”第三弾《人生は自作自演=バーのママ編=》では、敬愛する中谷芙二子氏の作品”卵を立てる”および、中谷宇吉郎氏のエッセイ『立春の卵』にオマージュしたパフォーマンスアート作品です。

当初、本作の核となる”卵を立てる”といった取り組みは、約10分程度の本作の持ち時間で難しいのでは?と予想していたのですが、なんと、予想を遥かに上回る結果に...

実際には5名ものお客様が『卵立て』に成功されました!
やはり、人工的に”霧を発生”させたことが功を奏したのでしょうか...

(※)役割後とは?​

日本語学者 金水敏先生(大阪大学栄誉教授)が命名した言葉で、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層など)を想起させる特定の言葉遣いのこと。主にステレオタイプに依存し,イメージが社会で広く共有されるに至った言葉遣いを指します。

https://note.com/naok_fujimoto/n/n09c5d84949dc

▶︎Art Work ID:《シナリオ・ダイアローグ Ser.3》『人生は自作自演=バーのママ編=』by naok fujimoto
▶︎BGM:ボロディン 弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調 第3章
▶︎Date:2022/12/10.(土)20:00-20:15(15mins)
▶︎Place:Art x Jazz M's @国分寺

▶︎Setting
設 定:2022年12月31日の大晦日
場 所:国分寺にあるクラシックバー
ワタシ:クラシックバーのママ(中国にルーツを持つ父を持つ)
マキちゃん:アルバイトの女の子(トランスジェンダー)
登場人物:本イベント参加のお客様(=観客)

▶︎Story Summary by naok fujimoto

起−1幕)
開店前の大晦日の薄灯の国分寺のクラシックバー。
店内にはボロディン 弦楽四重奏曲 第2番 ニ長調 第3章が流れる…
ひとりの女(店のママ=わたし)が真剣な表情で何かに取り組んでいる。
手には白い卵。

*
先日、お店の常連客である畳屋のケンちゃん(祖父の代から店に通う畳屋の3代目)から教えてもらった「立春に卵が立つ話」に触発され、卵を立てようと格闘している。

*

そこへお店のアルバイトマキちゃんが登場(マキちゃんは音楽(おもに作詞)をやっているトランスジェンダー女性で、ときどき、ドラマや映画のエキストラをやっている…)
ママがマキちゃんにも卵を渡し卵を立てるよう、促す...
しかし卵が立たないまま開店時間に(店を開ける...)

承−2幕)
カウターに常連客&新規のお客が横並びで座っている(祝満員!)
ママ(=わたし)が客にドリンクのオーダーを取りながら、客らの近況(年末年始は故郷に帰るのか否かなど)を聞いていく...そのほか、大晦日めいたあたりさわりのない世間話を行う。
*
そんな中、ママはおもむろに客に見えるよう、カウンター上に卵を置き、現在ジブンが『卵を立てる』ことに取り組んでいることと、その理由⬇︎(※)について語り始める。
カウンター越しの客にもそれぞれ卵を渡し、この”卵立て”に参加するよう促す...(卵は白玉と赤玉の両方を用意)
*
※理由:コロナもひと段落してきたので、ママは来年の立春にめがけ、亡き父の故郷(中国)に暮らすひとり暮らしの祖母(90歳)を訪ねたいと考えている。中国には『立春に卵を立てる』とその1年間、健康に幸せに暮らせるといった古い言い伝えがあることを常連客のケンちゃんから聞き、ぜひとも、息子を失った祖母の家で卵を立て、祖母の幸せを祈りたいと願っている…

転−3幕)
未だ、卵は立たず...(ママ、マキちゃん、店の客全員が卵立てに興じる…)
そこで、ママが卵を立てる?テクニックを学ぶために鑑賞した、中谷芙二子氏による動画『卵を立てる』の話や、卵を立たせた張本人である中谷氏の『霧の彫刻』について語り始める…

*
そして、(もしかしたら、”霧”をつくったら卵が立つのではないか?)との仮説(気圧などの関係)を立て、バーカウンターに、人工的に”霧”をつくる演出を仕掛けていく…
すると…客(観客)から、驚きの声が飛び交っていく...

結−4幕)
カウンターでは相変わらず世間話と『卵立て』の格闘がなされていく...
そんななか、少ししんみりしたトーンでママがモノローグを始める...
*
中国からの留学生であったママの父親と日本人との母が結婚する際、それぞれの国の親族から猛反対にあい、ほぼ駆け落ち状態だったこ、そして、現在の中国のゼロコロナ事情、先日、新宿西口で行われた中国人留学生によるスタンディングの話などを、呟くように語っていく...
*
すると、どこからともなく、除夜の鐘の音が...
客席の中からも『卵が立った〜!』との歓喜の声も聞こえ始めて…
賑やかなカウンターを前に、
「今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくね」
といったママの挨拶とともに、店はお開きに...
*
カウンターテーブルには、ママがわざと卵の底を潰して立てた”コロンブスの卵”が一つ取り残されていく...(暗転)


Text by ©︎naok fujimoto

Work 2022 / Performance 

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”Scenario Dialogue" Ser..2  - about Actress -   22nd. Oct .2022
at  Art and Jazz BAR M'S / Tokyo 

show -25mins-
Photo: Izumi Sekiya ↑
    naok fujimoto ↓

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タイトル

『シナリオダイアローグ』Ser.2 女優編(パフォーマンスワーク:約25分)

本作品は、”演劇的な役割語(※)によるセリフまわしと対話の手法”(=『シナリオ・ダイアローグ』※)を用いながら、居あわせた鑑賞者(参加者)とともに双方向のコミュニケーションを創出するライブパフォーマンス作品です。

※『シナリオ・ダイアローグ』とは作者(naok fujimoto)の造語です。

今回の作品は、前回のシリーズ1の『占い師編』に引き続き、居あわせた鑑賞者(参加者)とともに双方向性あるコミュニケーションを創出するインプロパフォーマンス作品です。

本作品の舞台はオーディション直前のインタビュー会見に臨む『女優』とそこに居合わせるメディアとプレス関係者...といった設定でパフォーマンスがスタートしていきます。

*

世界的アーティストMarina Abramovic(1946-)の1975年のパフォーマンスアート作品” Art Must Be Beautiful, Artist Must Be Beautiful...”をオマージュしながら、naok fujimoto が扮する『女優』が語る美の問題や生い立ちからの階級闘争観、そして、”女優”や”魔女”といったワードが持つ歴史とその職層を振り返りながら、フェミニズムやジェンダー・アイデンティティの視点を第三者(鑑賞者)とのやり取りを交えながら描いていく即興パフォーマンスです。

*

いかにも白々しい”役割語"を用いた『女優』のものいいをとおして、本作品のタイトルでもある"人生とは自作自演"(Life is a self-performing art)の反復であることをエンタメ感を交えつつ可視化させていく作品です。

*

現在、本作品シリーズの再演を希望しています。ウチでやってもいいよ〜というスペースや企画をお持ちの方、ぜひご連絡ください.どうぞ宜しくお願いいたします

(※)役割後とは?​

日本語学者 金水敏先生(大阪大学栄誉教授)が命名した言葉で、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層など)を想起させる特定の言葉遣いのこと。主にステレオタイプに依存し,イメージが社会で広く共有されるに至った言葉遣いを指します。

Work 2022 / Performance 

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”Scenario Dialogue" Ser..1 
at  Art and Jazz BAR M'S / Tokyo 

show -15mins-
Photo: Jyun Fuuget↑,  Maaro Sekine↓  

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This is a live performance work that uses "theatrical dialogue and dialogue techniques" (i.e., "scenario dialogue "*) to create interactive communication with the audience (participants) who are present. This is a live performance work that uses "theatrical dialogue and dialogue techniques" (= "scenario dialogue"※) to create interactive communication with the audience (participants).
”Scenario Dialogue" is a term I coined.

”I" dressed as a fortune teller, will give a "theatrical" performance and respond to the audience's (participants') questions with instantaneous ad-libs. I", dressed as a fortune teller, will give a "theatrical" performance, responding to the audience's questions with ad-libs in an instant. 

In this work, the fortune teller and the participants (consultants) will interact with each other in an ostentatious manner, or with the participants (consultants) through interaction between the fortune teller and the participants (consultants). Through witnessing the gaps in the dialogue between the fortune teller and the participants (consultants) (gaps that arise when the content of the conversation is not conveyed correctly or when communication is translated/translated), we are reminded that life is a repetitive activity of "self-performing art" (=Life is a self-performing art). By witnessing the gap that occurs when the content of the conversation is not conveyed correctly (a gap that occurs when the content of the conversation is not conveyed correctly and communication is translated/converted), we will visualize with a uniqueness that life is a repetitive activity of "self-performing art.

タイトル

『シナリオダイアローグ』Vol.1 占い師編(パフォーマンスワーク:約15分)

本作品は、”演劇的な”役割語”(※)によるセリフまわしと対話の手法”(=『シナリオ・ダイアローグ』※)を用いながら、居あわせた鑑賞者(参加者)とともに双方向のコミュニケーションを創出するライブパフォーマンス作品です。

※『シナリオ・ダイアローグ』とは作者(naok fujimoto)の造語です。

占い師に扮した”作者”が”芝居がかった”パフォーマンスを繰り広げながら、鑑賞者(参加者)からの相談事に瞬時にアドリブを交えながら応じていくインプロ(即興)パフォーマンスです。

本作品では、目の前に繰り広げられる仰々しい態度の占い師に扮した作者と参加者(相談者)とのやり取りを通して、あるいは、占い師と参加者(相談者)との間で生じる対話のズレ(話の内容が正しく伝わらなかったり、コミュニケーションが意訳/変換されることによって生じるギャップやそこから生まれるチグハグさ)を目撃していくことで、人生とは”自作自演”(=Life is a self-performing art)の反復活動(繰り返し)であることを ユニークさを交えつつ可視化させていきます。

(※)役割後とは?​

日本語学者 金水敏先生(大阪大学栄誉教授)が命名した言葉で、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層など)を想起させる特定の言葉遣いのこと。主にステレオタイプに依存し,イメージが社会で広く共有されるに至った言葉遣いを指します。

Work 2021 / video

This is a work of animation using AR.

The main character of this animation work is my cat Mon-chan. He is one of the protective cats.

Please take a look. My cat Mon-chan spends most of the day looking out the window. In 2021, the Japanese government declared a state of emergency due to the coronavirus.

I draw the sky under Tokyo one day with Mon-chan. 

Title
"Flying Cat@Tokyo"
-5mins-

 

タイトル
『空とぶ猫』(映像作品:約5分)


こちらはARを用いたアニメーション作品です。

本アニメーションの主人公は作者の愛猫「もんちゃん」です。彼は元保護猫です。


「もんちゃん」はひがな一日、窓の外を見ています。

2021年、日本政府はコロナウイルスによる『緊急事態宣言』を発令しました。

本作では、コロナ禍のステイホーム下のとある東京の空の下を描きます。

Work 2020 / video
​This work was created by Tokyo Metropolitan Government 2020. 
https://cheerforart.jp/detail/5130

Title
"Stay-home & At -home"
-The COVID-19 pandemic and Personal loss-

-4mins-

As the new coronavirus spreads, an artist ”naok fujimoto” loses her hearing.

Under these circumstances, "declaration of emergency" and #Stay-Home.

Surprisingly, the new lifestyle brought by the Corona disaster is a good opportunity to foresee the future.

 

This film work depicts the daily lives of an artist  living in Tokyo.

 

The previous life and communication, the mind, and the days after the disorder occurred. 

What was I thinking about and what could I do now? 

It is the path to the post-corona revival and the challenge of what I can do for society through the power of art.

In contrast to the collective approach that emerged before Corona, I am now revisiting and responding with a very autobiographical novel.

 

​Thanks

​                                                 naok fujimoto

タイトル

『ステイホームと日常と -世界的な疫病と個人的な喪失-』(映像作品:約4分)

 

新型コロナウイルス拡大の中、作者は聴力を損なう。

そんな状況下での緊急事態宣言とステイホーム。

不安であったが意外にもコロナ禍の新生活様式は今後を見据える好機となっていく。

本映像作品では、東京に暮らすひとりのアーティスト兼キュレーターのコロナ禍の日常を描いていく。

以前のあたり前の生活とコミュニケーション、

障害を生じてからの心中とその日常。

 

”いま自分に何ができるのか何を考えていたのか”

それはアフターコロナへ向けた再起への道程でありアートの力を通して社会に何が出来るのかといった挑戦だ。

Corona以前に台頭したコレクティブでの発信方法とは一線を画し、

作者はいま改めて、極めて私小説的な手法でこれまでの問い直しと応答を行っていく。

​Work 2019  / sculpture

"Geek Love Project Vol.1-Go Beyond Stereotypes" Tokyo, supported by ArtsCouncil Tokyo, 2019
at Hall of Tokyo Tech Museum and Archives in Tokyo Institute of Technology

https://geekloveproject.wixsite.com/info
https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/what-we-do/support/program/43937/

 

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Work  2011 Installation / video
"Garden-ation"

http://www.youtube.com/watch?v=JLBTSztSpIQ

 

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